「原発はなぜ日本にふさわしくないのか」(小学館)P46〜49より引用
竹田 恒泰(著)

テレビには御用学者しか出ない

 日本では長らく、原発の話題自体が一種のタブーとされてきた。テレビで原発の是非を正面から問うような番組もほとんどなかったろう。原発の安全を疑うこと自体が、一種の危険思想として弾圧されてきたのである。

 これまで日本国民は原発が抱える潜在的な危険性について、何も知らされてこなかった。まして、地震国日本の原発が、津波に対する十分な備えをしていなかったなどということは、国民は知らなかったのである。

 実際私はこれまでに何度か新聞に原発に関する記事を書いたが、そのたびに電気事業連合会から猛烈な抗議を受けてきた。朝刊の場合、その朝9時ちょうどに新聞社に抗議の電話がかかってくるのだから頭が下がる。そして、その日のうちに新聞社に大量の資料が届けられる。「著者に勉強させておけ」と言わんばかりの態度である。

 そこまで強い抗議を受けると、書き手も、それを掲載する媒体も、原発を論じることを躊躇するだろう。主要な新聞社やテレビ局は、毎年莫大な広告費を電力会社から受け取っている手前、自ずと遠慮が生じるに違いない。「今度この書き手に反原発の原稿を書かせたら広告主を降りますよ」という無言の圧力がかかるのである。巨大資本にとって都合の悪い事実は誰も語ることができない。原子力は毎年多額の予算が組まれ、巨大な既得権益がすでにでき上がっている。これを侵そうとするものに対しては、大きな抵抗が働くようになっている。これが資本主義の限界なのではないだろうか。

 ところが、福島原発が事故を起こして以降、誰の口からも原発の話題が語られるようになり、タブーが少し薄らいだように思えた。確かに、福島原発の事故後は、おびただしい数のテレビ番組が組まれた。しかし、実は原発に反対してはいけないタブーはいまだに続いているのだ。

 私が見た限りでは、どの局の報道番組も、一人として反原発の立場から発言してきた学者や評論家を出演させてはいない。原発を推進してきた学者しか出してこないのだ。それどころか、福島原発の事故が国際評価でレベル7に達しているにもかかわらず、この期に及んで、まだ原子力を推進すべきと真顔で論じる専門家も多数、番組に登場した。

 放送は公共の電波を利用している。放送法第1条は「この法律は、左に掲げる原則にしたがって、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」と定め、第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と書かれている。 

 同じく第3条の2には「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない」と定め、その第2項は「政治的に公平であること」であり、第4項は「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」としている。放送は政治的に公平中立でなければならず、賛成反対が渦巻いているなら双方の意見をできるだけ紹介せよと、法律は明記している。放送局の現状は違法な状態にあると言うべきだろう。

 ところが、実際には、テレビは原発で「食べている」学者ばかりを呼んでいる。いわゆる御用学者である。電力会社や経済産業省にとって都合の良い発言をする学者しか呼ばれない。その結果、原発は「必要だ」「安全だ」「大丈夫だ」と連呼されてきた。

 そんな社会だからこそ、これだけの事故を起こしてなお、いまだに原発反対は社会的タブーになっている。「原発に疑問を抱くこと自体が反体制的である」という、ねじ曲げられた雰囲気がつくられてしまっている。だが、このタブーを崩そうと思ったら、いましかない。

 日本社会が反原発を論じることをタブーとしてきたが、保守の世界ではそれはいよいよ決定的である。保守の立場で反原発を唱える人がいると、否応なしに「左翼」のレッテルを貼り付けて左遷しようとするのである。だから、左翼と言われるのが嫌な人にとっては、感覚的に原発に嫌悪感を抱いていても、反対だとは口にしづらい空気があった。(引用終わり)

 と、旧皇族の竹田さんも指摘されている通り、巨大資本にとって都合の悪いことは、隠蔽されており、企業献金が認められている日本は、国民のための政治ではなく、巨大企業(既得権益者)のための金権政治が行なわれています。しかし、この事実は、決して学校教育で教えられることはありません。もうお分りだと思いますが、巨大資本にとって都合の悪いことだからです。戦争中も、日本軍にとって都合の悪い事実は隠蔽されていました。その結果、国民は原爆の犠牲者になったり、若者が神風特攻隊員となって死んでいくこととなりました。そんな悲惨な目にあわないためには、やはり、勉強するしかありません。

 1998年頃から、金融の自由化が始まりました。そして、「自己責任」という言葉が使われるようになりました。しかし、上記のように、巨大資本にとって都合の悪いことは隠蔽されてますから、金融の自由化によって、一般国民は損するようになっているわけです。御用学者などに騙されないようにしましょう!